昨日、mixiニュースで日記を書いた。京都大学が57年間に渡って真っ黒な所でショウジョウバエを飼育して実験しているそうなのだ。約1400世代に渡って飼育したところ、遺伝子に変化がみたれてきた、というニュース。ニュースの内容とは関係ないんだけれど、よく環境に適応して進化した、と表現されることについて日記にしたのだ。以下は自分の知識だけで書くので厳密には違うのかもしれないけれど、まあ概ね合ってると思う。
キリンに例えると高いところにある葉っぱを食べられるように首が長くなった、というイメージがないだろうか。だけれども、実際には遺伝や突然変異で様々な個性を持った個体が誕生する→たまたまその時の環境に有利な個性を持った個体が生き延びる→生き残った個体同士で繁殖する、という順序による淘汰の結果を進化というのではないか。たまたま首が長かった為、高いところの葉っぱも食べられたので生存に有利だった、ということ。結果として同じ事なんだけれど、こういう細かいところを知識としてちゃんと知っていないと、日常生活でも本質を誤るよ、と危惧している、と言うようなことを書いた。
そうしたらコメントくれた人がいて、中立進化論を勉強せよとのこと。どうやらこういった場合は淘汰ではなく「自然選択」と表現するようだ。なるほど生き物同士の競争と言うより、自然によって選ばれるということか、としっくり来た。折角なので中立進化論についてもWikipedia程度だけど調べてみたらこれがまた面白い。抜粋すると、分子レベルでの遺伝子の突然変異は、そのほとんどが自然選択に対し有利でも不利でもない中立なもので、それが集団中に広まるのは偶然によって決まる。すなわち、遺伝子の広まりの決定要因には、運のよさ(サバイバル・オブ・ザ・ラッキスト)と適者生存(サバイバル・オブ・ザ・フィッテスト)が関係している。らしい。
難しいので自分なりに解釈すると、ダーウィンの説によれば必ず生存に有利なように進化していくことになるが、この説では必ずしもそうではなくて、「たまたま」とか「運」といったパラメーターも考慮する必要がある、ということか。なにも首が長くならなくても、足が長くなってもいいし、象みたいに鼻が伸びても良かったかも。首が長いのが残ったのはたまたまだということなのだろう。(これは例え話なので、血流がどうとか骨の強度がどうとかは突っ込まないでね)自然選択の結果は必ずしもベストではない、ということか。(でももちろんベターではある)解釈が正しいかどうかは別として、そんな事は知らなかったし考えたこともなかった。人生は楽しい。考えることがたくさんある。気分はブラックバードだ。
学生時代にこの辺まで踏み込んで教えてくれてたらもうちょっとアカデミックな方向に興味もつ人も増えるんじゃないだろうか。現状は中途半端でもったいないと思う。本当にあと一歩踏み込むだけで別世界が広がってると思うよ。