ダーリンコラム2010-02-22

製造業に従事しているものとして最近の自動車関係のリコールなんかも他人事ではない。
そしてなぜそうなったかも手に取るように分かる。
ワイドショーで言ってるような事も一理あるだろうが、
実際の現場を見てると事はもっと深刻なのではないかと不安に感じる。

差別化や付加価値と称して本来ユーザーが行うべき領域まで機械にやらせてしまう。
もちろん分かっていて代行させるならいい。
しかし、いつかそれが当然になり、一般のユーザーは知らない、出来ない、が常識になってしまう。
技術系の雑誌(サイトでもいいが)を見ると今回のブレーキの件、詳細が載っている。
もちろん制御として問題があるのは一目瞭然だが、車好きの人間からすると、
エアコンON時のアイドルアップ→勝手に加速、位の印象しかない。
大体、今のユーザーでABSの仕組みを分かってる人がどれだけいるのか。
ABSが投入されて当時はCMで散々アピールしていた。
ブレーキペダルの振動に驚かず踏み続けるように、と。
そして常識として受け入れられた。
初代プリウスの回生ブレーキも俗に言うかっくんブレーキだと評判は悪かったが
あくまでも発電が優先だとユーザーを納得させた。(少なくともそう感じた)
自動車に限らず、今後こういった対応は出来るのか?

一般のユーザーはそんなこと興味ない、知らない、出来ない、でいいのか。
ユーザーもメーカーの進めるまま、鵜呑みにしていいのか。
知らないまま、使いこなさないまま、ほんの数割の機能・性能のみ使用して満足していないか。
作る側は敏感に感じ取ってこれ幸いと勝手にその分をコストに振っていないか。
必要十分、お客様が望むものを、というのはこう言う事なのか。
そんな事を最近思う。

そんな中、欠かさずアクセス中のほぼ日刊イトイ新聞。
昨日のダーリンコラム(糸井さんのコラムコーナー)が妙に心に響いた。
以下ほぼ日サイトより転載

<がんばりようがある、ということ。>

メモとして書いてあったことなのだけれど、
これを、ふくらませても、加工しても、
どうもうまくいかないので、
そのまま、ここに貼りつけておこうと思いました。

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たぶん、「がんばりようがある」とわかれば、
みんな、なんとか、がんばっちゃうんだと思う。

「がんばりようがない」というときが、
いちばん、じつは、くるしいわけで。

なんだかわからないけど、
とにかくこれをやっていればいい、
ということを知っている人は、いいなぁ。

「がんばりようがある」場をつくる。
「がんばりようがある」時間をつくる。
それが思いつかなかったら、
こどものようにあそんで、
とにかくじょうぶでいよう。

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なんとなく、いまの日本にただよっている
「重苦しさ」って、
誰かに、どうすればいいのかと
教えてもらえないような気がするんですよね。
そういう時代だよなぁ、と考えながら、
上のようなメモを書いたおぼえがあります。

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